対馬 池の屋形つしま いけのやかた
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大永6年(1526年)宗将盛によって築かれたと云われる。
対馬島主15代宗将盛が池の屋形を築いて中村屋形から移ってきた。しかし享禄元年(1528年)豆酘郡主の一族が謀叛を起こし池の館を急襲した。この乱は佐須の盛廉らによって鎮圧されたが、池の屋形は焼失し、その後金石屋形が築かれたため、わずか2年で廃城となった。
池の屋形は現在の池神社付近に築かれていたと推測されており、遺構はないが神社内に案内板が建っている。