築城年代は定かではないが南北朝時代に宇都宮弥三郎通景によって築かれたと云われる。 宇都宮神社由緒によれば、元弘2年(1332年)宇都宮三郎通綱が後醍醐天皇の皇子尊良親王を守護してこの地へ下向したことに始まり、その子宇都宮通景が応安3年(1371年)に宮村地頭職となり、肥前宇都宮氏の祖となったという。
宇都宮氏はその後宮村氏を称し、文明7年(1475年)頃に宮村能登守通定が小峰城を築いて居城としたとき、蓮輪館に移ったという。
宮村館は宮小学校と宇都宮神社の間にある南西へ張り出した尾根の先端頂部に築かれている。
現在は萩坂公園となっている。北東背後に高土塁があり、その背後の道路は堀切の跡であろう。ここに岡尾張の墓が残る。長畑町にある小峰城の正確な位置がわからないのだが、南西にある標高69.6mの山であろうか。 いずれにしても宮村館から移した蓮輪館はわずか200m程しか離れておらず、当初は蓮輪館の詰城がこの宮村館であったとも考えられる。宮村館は館と呼ばれているものの、尾根先を切り離した小城で、土塁の規模も大きく少領主の初期の詰城としては十分なものである。
宮小学校の南側、宇都宮神社の参道沿いに案内板がある。北側の丘の上にある公園が城跡。
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