永正年間(1504年〜1521年)以降、大村氏の一族大村軍八郎の居城であったという。
大村軍八郎は大村家当主大村純忠と対立し、元亀年間(1570年〜1573年)頃に大村純忠が差し向けた軍勢によって攻められ、富永佐渡によって討ち取られたという。
河原城へ向かう途中にある福浄寺が気になり案内板があったので見てみると、それが片平城のものであった。案内板によれば、福浄寺付近に居館があり、背後の山腹に詰城があったという。
詰城部分は未確認であるが、帰宅後場所を調べると南西側の尾根先付近が城域のようである。