築城年代は定かではないが佐志方氏(指方氏)によって築かれたと云われる。 佐志方氏は平安時代にはこの辺りに根付き戦国時代末期まで続いたという。
佐志方氏は戦国時代、大村氏、後藤氏ついで平戸松浦氏に属したという。 元亀3年(1572年)佐志方城代であった針尾三郎左衛門が大村氏に寝返ったため、平戸松浦隆信・鎮信父子は佐志方城を攻めたが、三郎左衛門は佐志方城に籠城して堅く守ってこれを退けたという。
佐志方城は針尾島の東部、北へ向かって突き出した丘陵頂部に築かれている。 南背後の丘陵には「指方城郭群(龍岩城と上村城など)」と呼ばれる城砦があり、中世城郭事典によれば、そちらが佐志方氏の本城で、佐志方城は出丸ではないかとされている。
城は単郭で、南北二段、東側に帯曲輪があり、南下に一段の削平地がある。主郭の北端には石積があり、その下に堀切がある。その先にも一条の堀切らしき地形がある。南は急斜面で、尾根に堀切状の凹んだ地形があるが堀切かどうかは不明。南西の御堂の建つ辺りにも平坦地がある。現在は墓地へ至る切り通しが南の尾根にある。
国道202号線から県道213号線に入って南下すると正面に見える山が城跡である。山の西側を通る道を選択し南下して行くと左側に御堂があり、その先に墓地がある。御堂の付近から山へ入って尾根伝いに登ることができる。
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