築城年代は定かではないが宮村能登守通定によって築かれたと云われる。 文明7年(1475年)頃に宮村通定が小峰城を築いて居城としたとき、居館を宮村館からこの蓮輪館へ移したという。
永正年間(1504年〜1521年)頃に宮村通定は家臣の謀叛によって追い出され、嫡男悪四郎は討死して宮村氏は滅亡し、その後は大村氏がこの辺りを領したという。
蓮輪館は宮村館の南方、水田の一角に築かれていた。圃場整備されているのではっきりとした遺構はわからないが、水田の一角に一段高い地形で残り、そこに標柱と案内板が設置されている。
圃場整備前に発掘調査が行われ、柱穴群、滑石鍋、中国からの輸入陶器、陶質土器などが発見されたという。
近くには「テボ神古墳」というのがあり、宇都宮通景が父通綱を宇都宮大明神として祭祀したときに、その遺骨を納めた所と伝えられる。