室町時代初期に山本忠幹によって築かれたと云われる。
のちに松平城を追われた松平康信が高柿城に移って高柿氏を名乗り、高柿信広の子信久のときに松平城に戻り松平に名乗りを戻したという。
高柿城は比高50mほどの丘陵に築かれており、現在は工場の敷地になっている。
遺構はほぼ消滅しているが、案内板や幟がたっており、わずかに残る雰囲気を味わえるように見学路が設置されている。
案内板の背後にあるのは土塁のように見えるが、『茨城県の中世城館』に掲載されている図面には「模擬土塁」とるあるので遺構ではないようだ。
北側の県道沿いに道標が出ている。工場の敷地の脇に案内板があり、その付近に駐車可能。
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