常陸 八百岐館ひたち やおきやかた
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築城年代は定かではない。城主は小野崎氏の庶流通綱であった。
延徳元年(1489年)陸奥の伊達・葦名・結城の軍勢が常陸へ侵攻してきたさい、主君の佐竹義治の身代わりとなって小野崎通綱は討死した。この功によって通綱の子通老は河合350貫、石神350貫の地を与えられ、石神城を築いて移り石神小野崎氏となった。これによって八百岐館は廃されたという。
八百岐館はかつて密蔵院というお寺があったところであったという。
現在北側が墓地となっており、屋敷跡とされるところは竹林となっている。