築城年代は定かではないが久安年間(1145年〜1151年)に小野崎通盛によって築かれたと云われる。 小野崎氏は藤原秀郷の後裔で太田地頭となった通延が太田太夫を称していたが、後に太田に入部した佐竹氏の勢力拡大によって佐都へ移っていた。その後久安年間(1145年〜1151年)に通盛が瑞龍台地に館を築いて小野崎氏を称したことに始まる。
小野崎氏は後に勢力を拡げた佐竹氏の家臣となり、貞和2年(正平元年・1346年)櫛形城へ所替えとなって移った。
小野崎城は現在の瑞龍中学校の敷地に築かれていたという。現在遺構は消滅しており、西の正門を入ったところに大きな石碑が建っているのみである。