築城年代は定かではないが戦国時代に大窪氏によって築かれたと云われる。
大窪氏は平安時代末期に常陸大掾忠幹の子宗幹が愛宕山城を築いたことに始まり、応永年間(1394年〜1428年)には陸奥の石川詮光の子茂光を養子に迎え大窪氏を称した。その後は佐竹氏の重臣となり、天神山城そして大窪城を築いている。
慶長7年(1602年)関ヶ原合戦で中立的な立場を保った佐竹氏は出羽秋田へ転封となるが、大窪久光はこれに同行せず、義理兄の車斯忠らと水戸城奪還を企てたが失敗した。
大窪城は天神山城のある山から東へ緩やかに伸びた丘陵に築かれており、江戸時代には水戸藩の郷校暇修館が置かれた地である。
大窪城の本丸は復元された暇修館の建物があり史跡として整備されている。この本丸の周囲に土塁があり、西半分には深い空堀が現在も残り見所となっている。かつては東に向かって二郭、三郭と続いていたようで、三郭の民家の敷地には最後の城主大窪久光の墓があるというが未確認である。
本丸に駐車可能。
最寄り駅(直線距離)