築城年代は定かではない。
永禄5年(1562年)には宇佐美三九郎が城主であったが、相馬盛胤によって落城、その後、佐竹氏が取り戻し、慶長年間(1596年〜1615年)には(佐竹)北義憲が城主であった。
久慈城は茂宮川河口東岸の丘陵に築かれている。
現状では単郭の城で曲輪の西下を台地から切り離すように大規模な横堀を設けている。この横堀に一ヶ所土橋が架かり虎口に繋がるが、土橋に対して横矢を掛けるために北側が張り出している。
茂宮川に架かる国道245号線の橋の東詰から北へ川沿いに進むと老人福祉施設があり、その脇の坂を登っていくと舟戸山共同墓地の駐車場がある。墓地の手前に山に入る道があり、その道沿いが横堀。
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