築城年代は定ではないが常陸大掾氏の一族吉田三太郎広幹の三男多良崎三郎里幹によって築かれたと云われる。
多良崎氏は南北朝時代に南朝に属して没落し、変わって江戸氏の一族足立通義と足崎通定兄弟が居城とした。天正18年(1580年)佐竹氏によって攻められ落城した。
多良崎城は太郎崎と呼ばれる真崎浦最大の半島状台地に築かれており、現在は公園として整備されている。
主郭は広大な土塁囲みで北下にも土塁囲みの二郭がある。この部分が主郭となる。主郭の西側には土塁の内側に空堀状の凹みがある。また主郭下の二郭は切岸下に空堀があり、二郭の北下にも空堀がある。
二郭から北は自然地形の緩斜面地形であるが、北端には烽火台と書かれた小さな土壇がある。
主郭の東下に水ノ手、南下はおそらく堀切(二重か?)で南の三角点のある尾根に木戸が二ヶ所あると案内板にはある。
勝田ゴルフ倶楽部の西側が城跡で東の道路沿いに二ヶ所登り口がある。駐車場は封鎖されているが、入口近くに路駐可能である。
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