築城年代は定かではないが南北朝時代に姉小路氏によって築かれたと云われる。 姉小路氏は公家で三条実房の子公宣が京の姉小路に住んで姉小路氏を名乗った事に始まる。飛騨の姉小路氏は姉小路家綱が建武新政の際に飛騨国司となり、信包城(向小島城と推定されている)を居城としたことに始まるという。
姉小路家綱は南朝方によって国司に任命されたことから、おもに南朝方として戦っていた。その後、姉小路氏は小島氏・古川氏・向氏の三家にわかれる。
戦国時代になると京極氏の被官であった三木氏が台頭し、小島氏はそれに属していたが、天正13年(1585年)羽柴秀吉の命によって飛騨国に侵攻した越前国大野城の金森長近によって攻められ、小島城は落城した。
城は宮川に太江田川が合流する地点の北西にある尾根に築かれている。 この城ははじめ尾根の先端部分に築かれた(旧城)が、後に拡張して、主郭をその背後の高台へ移している。
県道75号線を神岡方向から古川町へ走行していると、県道沿いにあった道標を発見。車を置いて登ろうと案内板を確認するとどうやら車道があるらしい。ここは楽をして車で登ると主郭の直ぐそばまで行く事ができた。
そこから主郭の背後にある櫓台と書かれた所へ行ってみると、動物がこっちを見ている。どうやら車で走っている途中で見掛けた奴だ。その時は小さめの猪だと思っていたのだが顔を見ると角がある。日本カモシカのようだ。もちろん間近に見るのははじめて。侵入者を警戒して櫓台で待ち伏せるとは、なかなか憎い奴である。
城はこの櫓台を東背後にして、西側に本丸があり、その西側に二の丸がある。二の丸の北側には石垣があり、南へ桝形の虎口が開く。ここから急斜面を降りて行くと三の丸で、ここが旧城の本丸となっており、東側にはl字の土塁が残る。ここから西へ小郭が並び西尾根の先端は二重堀切となっている。
主郭から旧城である三の丸まで降って、車をとりに戻ってくるのはいささか苦痛である。麓から登ってきても体力的な消耗は遜色なさそうだ。
県道75号線から林道を経由して主郭背後まで車で行く事ができる。登山口は三ヶ所あるようで、尾根先の浄慶寺付近、北側の太江口、南側の沼町口。
最寄り駅(直線距離)