築城年代は定かではないが天正15年(1587年)に金森長近によって築かれた。 越前国大野城の金森長近が飛騨国の三木氏を滅ぼして飛騨に入部すると、増島城を築いて蛤城の金森可重を城主とした。
長近が没すると可重は金森氏を継いで高山城へ入り、増島城には長子金森重近を置いた。しかし可重が没した後に金森氏を継いだのは重近ではなく四男の重頼で、この結果重近が京都へ出て茶道に生きた。
元和5年(1619年)一国一城令によって廃城となり、その後は古川旅館として金森氏の別邸として存続されたが、元禄5年(1692年)金森氏は出羽国上山へ転封となり、その領地が天領となって破却された。
城は増島小学校付近に築かれていたが、現在は大半が市街地に埋もれており、わずかに小学校の南東側に櫓台と内堀の跡が残っており、櫓台のうえには増島天満宮が鎮座している。
城の遺構は余り残っていないが、古川町の古い町並みは今でも賑わっており、円光寺に移築された城門を見学するときに、一緒に見て回るとよいだろう。
裏門(移築 城門)
表門(移築 城門)
門(移築 城門)