築城年代は定かではないが天文年間(1532年〜1555年)頃に江馬氏によって築かれたと云われる。
高原諏訪城を居城とした江馬氏の城で、天正年間(1573年〜1592年)の江馬常陸介輝盛は松倉城の三木自綱と覇権を争い、梨打城はその前線となっていた。天正10年(1582年)江馬輝盛は三木自綱と飛騨の関ヶ原とも呼ばれる「八日町の戦い」で討死して敗れ、本城である高原諏訪城も陥落、江馬氏は滅亡した。
梨打城は江馬氏の本拠である高原方面から大坂峠を越えて南下してきた所に位置しており、八日町集落の北西に聳える標高749mの山頂に築かれている。
梨打城は山頂の主郭を中心に西、東、南の三方に伸びる尾根に曲輪を築いている。 主郭は山頂部に一段小高く築かれ、南側にスロープを伴う虎口がある。この主郭を取り囲むように東尾根から南尾根に掛けてl字に大きな曲輪が築かれている。南尾根は西と南側に土塁を築き、東尾根は北、東、南の三方に土塁を設けている。東尾根には大きな堀切が東と南東尾根を遮断し、それぞれ竪堀として伸びている。
西尾根は堀切の先に曲輪があり、北から西側に掛けて土塁が付き、西尾根は大きな堀切によって遮断、外側に竪堀や堀切がいくつか付いている。
南東麓にある菅原神社の参道入口に石碑が建っている。整備された道はないが、ここから尾根上に登り北へ登っていけばたどり着く。
神社境内まで車道が付いているが細く狭い道なので、近くの八日町公民館に駐めるのが良いだろう。
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