築城年代は定かではない。姉小路氏の庶流向氏(小鷹利氏)累代の居城とも云われるが、それを直接示す史料は残っていない。
天正11年(1583年)(あるいは10年)に向家の幼君右近を後見していた牛丸又太郎重親が、逆心を起こして横領を企てた。重臣後藤重元はこれを察知して右近を伴って城を脱し、角川へ逃れたが、重親が差し向けた追っ手に角川村で追いつかれ、重元は防戦して戦死、右近は逃げ延びて母方の縁を頼り常陸の佐竹氏に仕え、向右近宣政と名乗ったという。
小鷹利城は白川郷方面から高山へ至る湯峰峠の南側の山頂に築かれている。
城は標高787.8mの山頂に主郭を置き、そこから四方に伸びた尾根に削平地や堀などの防御施設を設けているが、主郭部付近に重点的に防御施設が集約されている。
主郭は南北に長く、一段下がって東側を除く三方を取り巻いている。南東側に虎口があり、それを降りた所は三ノ丸とされている。三ノ丸は主郭の南下にあり、東に虎口を開く。三ノ丸は東西を土塁で仕切っていたようで西側は土塁に囲まれた小郭となり、下の尾根に堀切を設けている。三ノ丸の南は大堀切となり、それを降りた所には馬場になっている。
主郭の西斜面には畝状竪堀群があり、堀切と合わせて西側の湯峰峠から続く尾根を遮断している。
国道41号線から鷹狩橋を渡って県道75号線に入り小鷹利集落へ。湯峰トンネルを潜って西側に出ると旧県道75号線との合流する橋が左側にある。この橋を南へ渡り、西へ進んでいくと小鷹利城へ続く林道の入口がある。
林道をしばらく進むと緩やかに右へ回り込む辺り、左奥に標柱が建っているのがわかる。そこが馬場。
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