築城年代は定かではないが、姉小路氏(あるいは庶流の向氏)によって築かれたものと云われる。姉小路氏は国司として下向した後、信包城を築いて居城としたと伝えられ、その信包城がこの向小島城であったと推測されている。
姉小路氏の庶流向氏は小鷹利城を居城としていたと考えられているが、この向小島城もその向氏の持城であったと考えられている。
向小島城は信包集落の東の標高643mの山頂に築かれている。 向小島城は東西二郭で構成され、東の主郭には観音堂が建っている。
主郭は方形に近い曲輪で、南を除く三方を一段下がって削平地が取り巻き、さらに一段下がってその周囲を腰曲輪と帯曲輪が取り巻いている。北東の尾根には馬蹄形の小段が続き、先端を堀切で断つ。南東の尾根はやや離れた二重の堀切で遮断、南の尾根にも小段が続き先端を堀切で遮断している。
主郭から西へ降りていくと西の曲輪群に至り、南と西の尾根に小段が続いている。 南尾根は堀切と小段が続いて先端を堀切で遮断し、西の尾根は先端部に土塁が付いてその下に畝状竪堀群が残っている。
「岐阜県中世城館跡総合調査報告書」(「岐阜の山城ベスト50を歩く」にも)にある縄張図は方角がやや間違っているようです。国土地理院の等高線と照らし合わせるとわかりますが、南北と表記されている曲輪の配置はほぼ東西になります。
主郭には観音堂が建っているのですが、まっとうな道は付いていないようです。山上は間伐もされて歩きやすいのですが、県指定史跡でもありますし、是非道を整備して頂きたいものです。
国道47号線から鷹狩橋を渡って県道75号線を西へ進み信包集落から小鷹利集落へと入ります。小鷹利郵便局の東側県道479号線を南下していくと左側に恵比寿神社の鳥居があります。この城山の南側の谷にある赤い屋根の建物の脇から山に取り付き、谷間の山腹に踏み跡が残っています。おそらく西の曲輪の南尾根へと通じていたようですが、現在は崩落や倒木によって歩行は困難で、東側の尾根上に一度登り尾根伝いに山頂を目指すようになっています。
最寄り駅(直線距離)