播磨 尾上構居はりま おのえこうきょ
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嘉吉年間(1441年〜1444年)の城主は山名氏家臣上村兵左衛門という。
その後は小松原氏の庶流加古氏が城主となり、加古源右衛門幸宗は天文11年(1542年)に没し、加古滝十郎盈斎と加古丹波守は、天正6年(1578年)三木城に籠城した別所氏に味方して秀吉と戦った。
尾上構居は現在の長田寺一帯に築かれていたといい、境内に案内板が設置されている。 城郭大系では堀跡と推測される溝と畑地を見いだしており、集落側は若干小高くなっている。