築城年代は定かではない。はじめ淡河城主淡河氏の属所であったが、天文23年(1554年)有馬氏が三好氏に従って三木城の別所氏を攻め、このとき三木方であった淡河氏も攻められた。このときの戦いで萩原城も落城し、有馬氏の城となったという。
萩原城は北へ伸びた丘陵に築かれている。規模の大きな城であったようで、主郭を中心に北に二の丸、南に南丸、西にやや離れたところに西の丸があったようである。このうち遺構が残るのは本丸と西の丸という。
本丸は高土塁で囲まれた曲輪で南北両側に虎口が開く。南は堀切が残り、南丸の一部が続くがその背後は道路や農地となっている。北下にあるのが二の丸で民家や田畑となっている。
西の丸は大歳神社の南側の丘陵で、土塁や曲輪が残っているようだが、今回は未訪問である。