築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に高橋義直によって築かれたのが始まりとされるが、この時の館はここより西にある羽州街道沿いの「楯の城」という地点にあったとされる。 義直は斯波最上氏二代直家の四男である。
その後天童氏の支城となり、天童頼基によって現在の位置に城郭が築かれたと云う。 天正12年(1548年)最上義光によって天童城が落城すると、この城も最上氏の所領となった。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後は宮内内蔵丞が四千石で城主となり、元和年間には楯岡城主楯岡光直の家老斎藤伊予守が五千五百石で城主となった。 しかし、元和8年(1622年)最上氏が改易となり廃城となった。
輪郭式の平城で本丸を囲むように二の丸・三の丸が配されていた。 皇太神社の北にある道路によって四方を区画された部分が本丸跡で、皇太神社から東に行った先にある楯之内公民館の所に石碑と案内板が建っている。 高擶郵便局や北の堀端、西の楯ノ内集落に水堀跡が残っているようである。