築城年代は定かではないが天授元年(1375年)以前に里見頼直によって築かれたと云われる。里見頼直は最上直家の子で天童を所領としてはじめ成生館に居住し、後に天童城を築いて移った。
頼直が天童城へ移って天童氏を名乗った後は、重臣成生伯耆守が代々城主となる。 天正12年(1584年)最上氏と天童氏が合戦となると成生氏ははじめ天童氏に従っていたが、後に裏切って最上氏に加担したという。
城は押切川の南岸にあり、龍頭権現が祀られている高台が南東隅の土塁跡といわれ、その東側に堀跡が残る。以前は南側の堀が東西に残っていたというが、現在では道路となってしまったようである。