出羽 新田館でわ にったたて
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永享元年(1429)新田重通によって築かれたと云われる。 新田重通は新田義貞の子孫といい、下野国都賀郡吉田館より移住してきたと云う。
その後、新田氏は寒河江大江氏と姻戚関係を結び、天正12年(1584年)最上義光によって寒河江大江氏が滅ぼされると、常陸国水戸へ逃れたと云う。
方形居館で白山神社の北側にある果樹園となっている地が館跡である。 土塁は崩されて残っていないが、南側の堀跡だけはかろうじて残されている。