宝暦5年(1755年)江戸幕府によって設置させた。この辺りはもともと山形藩領で、寛永13年(1636年)から幕府領となり漆山代官所の管轄であったが、宝暦3年(1753年)から庄内の大山代官所の管轄となると、遠方となって不便を訴え、柴橋代官所が設置されることとなった。
文化元年(1804年)頃から柴橋代官所の代官は寒河江代官所と兼務することとなり、慶応2年(1866年)長岡山代官所に新設統合され、柴橋代官所は廃止となった。
柴橋代官所は「代官所さくら公園」の辺りに築かれていた。公園には石碑や案内板などが設置されているが遺構はないようである。