築城年代は定かではないが正平11年・延文元年(1356年)以降に左沢元時によって築かれたと云われる。 左沢氏は大江氏七代大江時茂の三男元時が左沢楯山城を築いて左沢氏を名乗った事に始まる。
正平11年・延文元年(1356年)北朝方の斯波兼頼が出羽に入部すると、南朝方の大江氏は斯波氏に備える為、長子茂信に溝延城、三男元時に左沢楯山城を築かせた。
永正11年(1514年)左沢政周は最上氏とともに長谷堂の戦いで伊達稙宗と戦ったがそこで討死した。その後天正12年(1584年)寒河江氏とともに最上義光によって攻められ滅亡した。
城は最上川北岸の標高222mを中心とする一帯に築かれている。 八幡座一帯が本丸、千畳敷一帯が二の丸、八幡平一帯が三の丸とされる。
現在三の丸付近が楯山公園として整備されており、ここの三の丸の碑と案内板が設置されている。2006年に一度訪れているが本丸すら見ていなかったので再訪問。案内板も新しくなって縄張図も付いている。
本丸へは楯山公園から来た道を少し戻って北東側へと歩いて行く。本丸から北東へ伸びた尾根伝いに削平地を下り、そこから東へ方向を変えて更に下る。東西に長く削平地された曲輪の先からは今度は南へ向かって降りて行く。この辺りまできれいに整備されているのだが、何の案内もない。どこまで下りるか悩んだけれども寺屋敷を見下ろす曲輪で引き返した。
左沢の市街地から国道458号線を北上すると楯山公園の入口がある。
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