出羽 中野城でわ なかのじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (出羽国/山形県) > 中野城
Tweet
出羽 中野城の写真
掲載写真数
形態
平城
別 名
中野館
文化財指定
なし/不明
遺 構
なし
城 主
中野氏
歴 史

築城年代は定かではないが文中年間(1372年〜1375年)に中野満基によって築かれたと云われる。 中野氏は斯波最上氏三代最上満直の次男満基が中野に居住して中野氏を名乗った事に始まる。

中野家は惣領最上家と密接な繋がりを持っており、二代満氏、三代義淳は最上家の当主と中野家を知行し、五代義清の子義守は最上義定の養子となって宗家を継ぐ。この義守の子が最上義光で、中野家の家督は義光の弟義時が継ぐこととなる。

最上義守と最上義光はやがて父子で対立することとなり、天正2年(1574年)には伊達輝宗が義父である最上義守方として最上領に侵攻する。小競り合いが続いた後、義守は隠居して義光が家督を継ぐことで和睦が成立する。しかし、義光の弟義時は最上家の家督を継ぐことが叶わなかった事を恨み、兄を呪う為に両所宮に祈願する。このことが発覚として天正3年(1575年)義光は中野城へ攻め入り義時を自刃に追い込んだ。これを「天正最上の乱」という。以後、中野城は最上宗家の出城となった。

説 明

城は逆川の東岸、現在大郷小学校が建つ一帯に築かれていた。 西は逆川、東は泉蔵院西の道路付近、北は県道275号線の一本南の道路、南は大郷小学校南の橋の一本南の橋付近までが城域であったという。

かつては土塁と堀が残っており、地図上でも北と南に堀の名残と思われる水路のようなものが確認できるので、くまなく散策すれば遺構がまだ残っているかもしれない。

案 内

大郷小学校の南側に石碑と案内板が建つ。

最寄り駅(直線距離)
3.1km 羽前山辺駅
3.2km 東金井駅
3.4km 羽前金沢駅
3.6km 南出羽駅
3.9km 羽前千歳駅
所在地/地図
山形県山形市大字中野(大郷小学校)
付近の城(直線距離)
3.5km 出羽 山野辺城
3.5km 出羽 山辺高楯城
3.8km 出羽 長崎楯
4.4km 出羽 高擶陣屋
4.6km 出羽 高擶城
5.4km 出羽 谷木沢楯
6.0km 出羽 山形城
6.3km 出羽 風間館
6.3km 出羽 内城
6.5km 出羽 山家城
6.7km 出羽 山崎楯
6.8km 出羽 若木館
6.8km 出羽 高瀬山楯
6.8km 出羽 本楯館
7.5km 出羽 南館
7.6km 出羽 村木沢楯
7.8km 出羽 楯の峯館
7.8km 出羽 天童陣屋
7.9km 出羽 新田館
7.9km 出羽 門伝楯
7.9km 出羽 蔵増城
8.0km 出羽 落衣長者屋敷
8.1km 出羽 天童城
8.1km 出羽 中里館
最終訪問日
2009年4月
TOP > > (出羽国/山形県) > 中野城