築城年代は定かではないが南北朝時代に山家信彦によって築かれたと云われる。
南北朝時代に斯波兼頼が山形へ入部すると、南朝方であった山家氏は北朝方の斯波氏と対立する。しかし、兼頼の娘を山家信彦に嫁がせることで和議が整う。兼頼の跡を継いだ直家は応永3年正月(1396年)山形城へ信彦を招いて月見の宴の最中に毒殺し、後に信彦と兼頼の女との間にもうけられた家信を養子に迎えて山家一族を従属させた。
城は山形平野の東端にある半独立丘陵の山頂に築かれている。
主郭は標高234.1mの山頂にあり三角形に近い形で中央に高まりがある。東は浅い堀切で断ち切っているものの、その先もやや平坦な地形が続いている。主郭から西の尾根先へ段々と削平地が続き、西の先端部分には北端に低土塁が残る。
西端の曲輪から主郭へ至る尾根は山なりに"く"の字に曲っているが、その屈折付近から北へ下りていった所に横堀と竪堀がl字になって残っている。
セルヴァンゴルフヒルというゴルフ練習場が目印。国道13号線山形バイパスからゴルフ練習場を越えて高速道路の側道へ抜ける道沿いに標柱がある。
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