詳細不明。戦国時代に寒河江肥前守によって築かれたと云われる。
山形城の南の押えで羽州街道と小滝街道の分岐点にあり交通の要衝に位置する。
館は古峯神社(神明神社)一帯に築かれていたとされ、古峯神社の案内板に南館に関する記述がある。南側に濠の跡が残っているとされるが見付からず。
案内板によれば、最上義光の妹で伊達輝宗の正室となって伊達政宗を産んだ義姫が、天正18年(1590年)に政宗を毒殺しようとして失敗し山形へ逃げ帰った時に匿ったのがこの南館とある。義姫が政宗を毒殺しようとした事実は疑問視されており、義姫は岩出山城に居て、文録3年(1594年)11月に山形へ帰っていることからも事実であったかどうか定かではない。