宝徳元年(1449年)武田信安によって築かれたと云われる。 武田信安は甲斐武田氏の武田信昌の二男で武田信縄の弟という。
文明3年(1471年)葦名合戦に加わって失脚し出家したといい、その子孫高楯氏と名乗ってその後も城主として続いた。高楯遠江守正福は二千五百石(一万二千石とも)を領していたが大坂の陣で討死し、その子俊福は最上義俊が改易となり近江国大森へ移ると、それに従って大森へ移ったという。
城は山形平野の西端の丘陵に築かれている。現在主郭に天満神社が建ち、そこに石碑と案内板が設置されている。 かつては周囲に二重の堀が巡らされていたというが、現在では完全に市街地に没して遺構を探すことは難しい。