永享10年(1438年)新関吉綱によって築かれたと伝えられる。
天正2年(1584年)最上義光と父義守による内訌(天正最上の乱)が起こると、若木館主は当初義光方であったが義守方に転じたため義光の軍勢に攻められ「外城」が攻め落とされたという。
江戸時代には最上氏家臣神保隠岐守が二千石を知行して在城していたが、最上氏改易にともなって接収され廃城となった。
若木館は広福寺の西に隣接する丘陵に築かれていた。現在は田畑になっている部分もあるが案内板が設置され歩けるように整備されている。
山頂を中心に平場が拡がっているが大半は田畑となっている。東側の登道沿いの平場は互い違いになっており城道を思わせる。
広福寺前の登口に案内板がある。南側からも登ることができ入口付近に駐車可能。
最寄り駅(直線距離)