出羽 泉出城でわ いずみでじょう
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永徳元年(1381年)大極兼義によって築かれたと云われる。 兼義は斯波兼頼の子直家の六男で成沢の地に封ぜられ、泉出城を築いて居城とした。 しかし、その二年後には成沢城を築いて居城を移ったという。
泉出城は成沢城の西、須川の東岸にあったというが昭和初期の圃場整備、その後の宅地開発によって遺構は消滅した。成沢西2丁目に「もとだて公園」という名の公園があるが、特に案内板が設置されているわけでもない。