寛永2年(1625年)黒田高政によって築かれた。
元和9年(1623年)福岡藩主黒田長政が没すると、その遺言により四男高政に鞍手郡・嘉麻郡・遠賀郡内に四万石の所領が与えられた。高政は東蓮寺跡に陣屋を構えたことから東蓮寺藩と呼ばれた。
東蓮寺藩黒田氏は高政の後、之勝・長寛と三代続いたが、延宝5年(1677年)兄綱之が廃嫡となったため、長寛は宗家福岡藩の嫡子となり、元禄元年(1688年)父光之の隠居にともなって福岡藩の家督を継いだ。これにより東蓮寺藩領四万石は宗家に還付され東蓮寺藩は消滅した。また、これに先立ち延宝3年(1675年)に東蓮寺から直方へと地名が改められている。
元禄元年(1688年)長寛が福岡藩の家督を継いで綱政と名を改めると、弟長清に新たに新田五万石を与えた。長清は直方の地に陣屋を構えたが、それまでの場所とは異なり妙見山の地に直方陣屋を構えた。長清には嫡男継高が生まれたが、継高は宗家の家督を継いだため、直方藩は享保5年(1720年)長清が没すると廃藩となり、所領は福岡藩に還付された。
東蓮寺陣屋は現在の双林院(雙林院)辺りに築かれていたという。 天台宗の寺院であるが、無住なのか山門は固く閉ざされている。