築城年代は定かではない。
周防の大内氏の家臣で高鳥居城主であった杉連並の城で、大内氏が滅亡してからも龍ヶ岳城を居城としていた。
天文11年(1542年)大友氏の軍勢が鞍手郡に侵攻すると、杉連並はこれに降り、宮永城攻めに加わった。天正年間(1573年〜1592年)には秋月氏に従って立花氏と戦っている。
龍ヶ岳城は六ヶ岳から南へ派生した尾根の一つ、標高222mの南峰と北峰に築かれている。
主郭は南峰と伝えられているが、北峰の方が標高は高い。しかし遺構としては南峰のほうがまとまっており、ここでは南峰を主郭Iとしている。
南峰Iは杉氏を祀る石増群がI1に設けられており、現在も管理されているようである。 中央I1の北側にI2があり、その周りをI3が取り巻いている。
南尾根は堀切2で遮断し、それと連動して畝状竪堀群3が設けられている。 一方南西尾根は堀切にはならず、犬走り状地形の南端が竪堀7となり、その外側に三条の畝状竪堀群6を設けている。犬走り状地形はそのまま北峰へ繋がる鞍部方面に伸びている。
北峰に繋がる北尾根には堀切は設けていないが、側面に竪堀4、5が確認できる。
北峰IIは曲輪II1を中心に帯曲輪がめぐり、北東下に曲輪II2を設ける。北背後の尾根には二条の堀切11、12で遮断している。
南東尾根は浅い堀切10で遮断するが、南、南西、北西は現状堀切ではなく、片側だけ竪堀になったような地形が残っている。
北峰と南峰を結ぶ鞍部は若干加工している形跡があるが図化していない。
六ヶ岳登山口の看板があるところまで舗装林道が通じており、広い駐車スペースがある。池の奥のあたりまで進むと北東の谷筋を登る鉄塔整備道があり、これを登れば北鞍部に至る。
南側からの登山道は踏み跡程度でピンクリボンを頼りに登って行くようなルートになっている。
最寄り駅(直線距離)