築城年代は定かではないが応仁年間(1467年〜1469年)に梅野土佐によって築かれたと云われる。
文明年間(1469年〜1487年)には宗像氏の下城となって野中勘解由が城代となり、天文年間(1532年〜1555年)には秋月文種の属城となって家臣跡部安芸守が城代となった。天正14年(1586年)豊臣秀吉の九州征伐に従った麻生家氏によって攻められ落城した。
剣岳城は標高125.6mの剣岳山頂に築かれている。 剣岳という険しそうな山の名前だが比較的緩やかな山で、山頂付近もなだらかな地形になっている。
単郭の城で長方形の曲輪の南東部に虎口があり石積が残る。東側は空堀を巡らせ遮断している。周囲には畝状竪堀群が巡らされていたようであるが、明確に確認できる所は少ないようで、北側に1m〜2m程の短い竪堀を確認できたのみである。
八剣神社の脇から更に上に登っていくと剣岳自然公園への車道の道標が付いている。駐車場から遊歩道がある。
最寄り駅(直線距離)