元禄元年(1688年)黒田長清によって築かれた。
直方藩は長清以前の三代が東蓮寺に陣屋を構えていたが、三代長寛が福岡藩の家督を継いで綱政と名を改め一旦消滅、綱政は弟長清に新田五万石を与え再び直方の地に陣屋を構えた。このとき、それ以前の東蓮寺陣屋を廃して妙見山に陣屋を構えたのがこの直方陣屋である。
長清には嫡男継高が生まれたが、継高は宗家の家督を継いだため、直方藩は享保5年(1720年)長清が没すると廃藩となり、所領は福岡藩に還付された。
直方陣屋は直方市体育館と多賀神社との間にある公園の地に築かれていた。 現在は公園となっており、遺構らしいものは見あたらない。
体育館の北側に道路に面して大きな石碑が建っている。また、東麓の新町北公園にも直方陣屋の案内板がある。
城門(移築 城門)
直方市体育館の駐車場が利用できる。
最寄り駅(直線距離)