詳細不明。天智2年(663年)に唐・新羅軍と対峙した日本と百済の連合軍は白村江の戦いにおいて大敗した。その後、大陸からの侵攻を恐れ西日本各地に築かれた古代朝鮮式山城の一つと考えられている。
鹿毛馬神籠石は鹿毛馬川東岸にあり、標高76mを最高所として西に開いた谷を囲む尾根に築かれている。
西の谷間に案内板があり、そこから谷を少し入った所が西水門で、石積、池、土塁がある。尾根の登り口に「列石」の道標があるが、そこから入れば列石を見ながら尾根を一周することができる。山の最高所付近で列石が見えなくなるが、全体的には良く残っている。
近年西水門が調査され整備された。
西側の県道沿いから橋を渡ると西水門があり、案内板の前に駐車可能。
最寄り駅(直線距離)