築城年代は定かではないが黒川刑部隆尚によって築かれたと云われる。 黒川隆尚は先代の宗像大宮司で周防の大内義隆に出仕し、周防国吉敷郡黒川郷を所領として黒川氏を名乗っていた。
大友氏の侵攻を受けた宗像大宮司氏続が大内氏に援軍を要請すると、黒川隆尚が派遣され名残城に入ったという。
名残城は名残と徳重との境にある標高107.4mの山頂に築かれている。
主郭は山頂にあって南北に長く、一段下がって周囲に帯曲輪が付いている。北西に続く尾根の付け根に土塁があり、その前後がやや窪んでいることから二重堀切であったと思われる。さらにその先端の西下に堀切と土塁がある。
南側の谷間の集落から城山の西の尾根の方に入っていく道があり、その奥は管理された竹林になっている。一応道が付いているが、東上に向かってよじ登った方がわかりやすい。
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