築城年代は定かではない。宗像氏の城で城主は吉田掃部介貞昌、吉田杢之助などが伝えられる。
宮永城は宮永集落の背後に聳える標高333mの雁城山頂に築かれている。
主郭は山頂にあり稜線に沿って南北に長い曲輪で南端に小規模な土塁があり、南尾根は二条の堀切6,7で遮断する。主郭は削平されているが自然傾斜も含み、一部は段加工してある。
北に一段下がって小規模な曲輪IIがあり、北端に土塁があるが、東側は開口し曲輪IIIに繋がる虎口となる。
北端は土橋の架る堀切2の先に曲輪IVがある。北から西にかけて畝状竪堀群があるが、より削平され切岸になっているのは東側である。
西側面はほぼ全域にわたって畝状竪堀群を設けてあるが、東側は主郭の南端付近のみ畝状竪堀群がある。
先行図面では主郭の南峰や北西峯、東尾根側も城域としてあるが、自然の緩斜面地形である。主郭東尾根のVのみ加工された地形が確認できるが、城の遺構か判然としない。
登山道はいくつかあるようだが、山頂の北西下にある鉄塔への整備道を利用した。これは北西麓の大谷集落から西下の川沿いにある林道に登り口がある。
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