元治元年(1864年)福岡藩家老加藤司書によって築かれた。
福岡藩の居城である福岡城が海に面した地にあり、海上からの攻撃に弱く、異国の驚異もあることから、有事の際に藩主を匿うために犬鳴谷に別邸として築かれた。慶応元年(1865年)勤王派であった加藤司書は藩の弾圧によって粛正され切腹したが、犬鳴別館は同年完成した。
犬鳴別館は犬鳴ダムから北へ入った谷の東山腹に築かれている。 犬鳴ダムの建設によって発掘調査が行われ、現在は一番上の段を残して埋め戻されているものの公園として整備されている。
犬鳴別館は山腹に数段の平段を重ねた縄張で、最上段は東と西に虎口があり、東が表門、西が裏門となっている。絵図面には最上位の段に藩主邸があり、庭園も描かれている。
犬鳴ダムを周回する道路(一方通行)の分岐から更に奥へ入って行くと犬鳴別館への入口がある。車道はここで封鎖されているので、歩いて少し登ると犬鳴別館がある。
最寄り駅(直線距離)