詳細不明。米多比氏の居城と考えられている。米多比の読みは現在は「ねたび」であるが古くは「ねたみ」と読んでいたようである。
米多比城は須賀神社背後の尾根に築かれている。
米多比城は麓に近い里城部と山城部に分かれる城とされ、実際に広範囲に堀切が点在して認められるが、しっかりと造成した曲輪は現状主郭Iしか認められない。
里城部とされるのは須賀神社から堀切4までの間であるが、残念ながら南側が土取によって消滅しており、全体像は判然としない。しかし現存する尾根の北半分を観察しても段加工してあるのは堀切4に面した南東端のIIの部分くらいで、残りは自然尾根のようである。IIにしても堀切に面しているために城にともなう造成と判断する程度の加工度である。神社境内となっているあたりが里城の中心部だったのだろうか。
山城部は土塁囲みで南北二段になった曲輪群Iと、その背後に続く2つの峰にも堀切があり南端は堀切13である。
主郭I1はほぼ全周を土塁で囲む。土塁は東が高く西は低い。虎口は不明。南背後を堀切8で遮断し、東西両側面に畝状竪堀群7、9を設けている。
曲輪I2は南北に長く全周を土塁で囲む。土塁は1mほどとやや高く曲輪内部の削平は不十分で中央に削り残しの段を残す。北東隅に虎口があり、虎口の外側は緩斜面の虎口受けスペースがあるが、切岸もなくそこからの導線は不明である。
曲輪IIは北から西にかけて畝状竪堀群5があり、北西の竪堀下方には浅い堀切状地形6が確認できる。東側面には虎口脇に二条の連続竪堀10が確認できるが、それより南には続かない。
堀切8から南峰に登ると山頂部IIIが若干削平加工されている。そこから西へ伸びた尾根には堀切11、南背後の尾根は西側に竪堀状に伸びた堀切12?がある。
さらに南に登ると標高188mの米多比城山の標識がある峰に到達するが、そこから南へ続く尾根に土橋が架かる堀切13がある。峰は無加工で堀切に面した部分に若干の切岸加工が確認できる程度である。
近隣の城の縄張と比較すると、主郭部Iの構造は土塁囲みで畝状竪堀群を設けて堅固な備えとなっている点は鶫岳城と類似し、自然尾根や若干加工した曲輪と堀切で区画する単純な縄張は臼ヶ岳城や上米多比城と類似する。これらは在地勢力、或いは古城があったところを大友(立花)氏の勢力で主郭部Iだけ改修した結果と考えられる。
須賀神社への参道石段の近くに駐車可能なスペースがある。須賀神社の背後からそのまま尾根道を登っていけば詰城に至る。
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