詳細不明。城主は黒瀬越後守とも伝えられる。
永禄12年(1569年)毛利の軍勢が立花山城を攻めたときに、熊ヶ峯を経由して糟屋方面に進軍しており、この時期に利用されたとも考えられている。
熊ヶ峯城は標高583.6mの犬鳴山(熊ヶ城)山頂に築かれている。
主郭は山頂で削平はしっかりしているものの曲輪の規模は小さい。ここから西へ続く尾根を降りると堀切状の地形があり、その先に城内で最も広い曲輪がある。尾根の西端から北へ降る登山道脇に長大な連続竪堀があり、その最下部に堀切を設けている。この堀切から東へ落ちる竪堀と連続竪堀の東端の竪堀は規模が大きく明瞭に残り、この城最大の見所である。
主郭から南、東の尾根にも小規模な段曲輪が連なっているものの、こちら側には堀切や竪堀などは見あたらない。
犬鳴山(熊ヶ城)への登山道はいくつかあるようだが、東の犬鳴ダムの駐車場から標高380mのピークを経由して登る道を選択した。
最寄り駅(直線距離)