寛永元年(1624年)黒田長興によって築かれた。長興は福岡藩初代藩主黒田長政の三男で、元和9年(1623年)父長政が没したとき、その遺言により五万石を分知され秋月藩を興した。
秋月藩黒田家は代々五万石を領して明治に至っている。
秋月城は現在の秋月中学校、垂裕神社一帯に築かれていた。現在もなおこの秋月城を中心として城下町の名残があり、観光地として賑わっている。
秋月城は南北に伸びた水堀に二ヶ所の橋が架かり虎口となっていた。北の虎口は瓦坂と呼ばれ、瓦を敷き詰めた橋で、その先に枡形の大手門があった。この枡形は現在埋められていて残っていないが、ここには垂裕神社参道にある黒門があった。
南の虎口は長屋門のある所で、長屋門は部材が新しくなっているものの元の位置に現存する唯一の建物である。櫓は平櫓が五基あったようで、一番北の櫓台は今でも綺麗に残っている。
長屋門(現存 城門)
搦手門本門(黒門)(移築 城門)
周辺に有料駐車場が多数ある。秋月郷土館の中には大筒(手持ちの大砲)が展示されており、実際に持つことができる。しかしながらこれをもった写真を撮ることは許可されていない。
最寄り駅(直線距離)