築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に時枝大和守惟光によって築かれたと云われる。 時枝氏は山城国慶安寺から宇佐八幡宮の弥勒寺寺務役として下向したのが始まりである。
弘治2年(1556年)時枝鎮継は大友氏に降ったが、毛利氏に通じて土井城主佐野親重と談合して大友方の光岡城主赤尾氏を攻め滅ぼした。
天正13年(1585年)小早川隆景に援軍を要請し250騎程が時枝城に入城したが、その情報を得た高家城主中島統次に夜討ちを掛けられ落城、鎮継は毛利家を頼って落ち延びた。
天正15年(1587年)時枝鎮継は豊臣秀吉の九州征伐で黒田孝高に従い宇佐郡の道案内となって軍功を上げ、孝高が豊前国中津に封ぜられるとその家臣団に加わった。
慶長5年(1600年)時枝氏は黒田氏の筑前国福岡転封に従って移り廃城となった。
時枝城は現在の糸口郵便局の西にある交差点一帯に築かれていた。 交差点の南東にある駐車場の片隅に時枝城の石碑が建っている。