築城年代は定かではない。 天正6年(1581年)から天正9年(1584年)に掛けて長野因幡守が城番を勤め、大友義統より感状を賜っている。その後は都甲山城入道が城番を勤めたという。
龍ヶ鼻城は八坂川が大きく蛇行して流れる地点の北へ伸びた丘陵の北端頂部に築かれている。この城は城番が少なくとも三年居たにもかかわらず曲輪がきちんと削平されていないのが特徴である。
北端に主郭があり、南尾根を堀切と竪堀で遮断し、主郭側に土塁を設けている。 東へ伸びる竪堀は東麓にある民家のすぐ上の辺りまで伸びている。 主郭には石祠が祀られているが、周囲は緩斜面でほとんど自然地形のようである。堀切に面した所が平坦になっているのはここにアンテナが建っていたためである。
主郭の堀切からさらに南へ離れた位置にもう一条堀切があるが、この間の尾根も削平していない。さらに南へ降った辺りにも堀切のような窪地が残っている。