詳細不明。『豊後誌』によれば、城主は古澤右馬允で文禄2年(1593年)に廃城となったというが、『日本城郭大系』には城主は古荘右馬介で耳川合戦で討死し、その後は後藤氏の居城であったとしている。
烏帽子岳城は陽平集落の北西背後に聳える標高497.3mの烏帽子岳山頂に築かれている。
三角点のある南西側が主郭、北東下にある広い空間が二郭であるが、小さな段差がある程度である。北側には一段下がって低い土塁のついた帯曲輪のようなスロープがあり、北東端の虎口まで続いている。虎口は土塁が開口した平入りで、石を積み上げているわけではないが、部分的に石を利用した形になっている。崖となっている南側を除く周囲には畝状竪堀群が張り巡らされており、『大分の中世城館』によればその数は54条であるという。
南東麓の陽平集落から続く舗装林道がそのまま山の山腹を登っている。林道をしばらく登ると未舗装となり、東尾根を切り通した所に左上に登る細いコンクリートの道が付いている(地図)。
このコンクリートの道を登りきった所から尾根伝いに登っていけば山頂から北東へ伸びた尾根上に至り、あとは南東へ進むと山頂に着く。
林道はしっかりした道で未舗装部分はガタガタであるが、所々広い空き地があるので行ける所まで車で行くことはできる。
最寄り駅(直線距離)