天文14年(1545年)田北鑑生によって築かれたと云う。日差田北氏はここから主力を田北城槍原砦へ移したという。
日指城は久木野尾川と八坂川の間に北東方向に伸びた丘陵に築かれている。
北東から南東に伸びた丘陵の尾根に沿って曲輪を設けており、北西は横堀を巡らせてその下方には連続竪堀がある。南西の虎口は石組み虎口から一度下の腰曲輪を経て南西尾根へと出ていく構造で南西尾根は幅広く掘りきられ土橋が架かっている。この虎口の南東側面に竪堀を入れるなど虎口構造はしっかりしている。しかしながら曲輪としては削平が甘く、緩斜面地形が続いており、南東側は犬走状の通路があるものの、北面にくらべ防御は手薄で、北東尾根側は明確な城域の境が不明で、おそらく稲荷社が祀られている土壇辺りまでが城域と思われる。
南東麓には田北氏の館があったと云われ、現在も山麓には数軒の民家が建ち並んでいる。
北東の尾根先から登るのがわかりやすいだろうか。
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