応永6年(1399年)宇都宮親景によって築かれたのが始まりとされる。 青山城(佐田城)を詰城とした館城とも考えられている。
明応7年(1498年)大内氏の宇佐郡代を務めていた佐田俊景は、大友親治によって攻められたとき、菩提寺に立て籠もって大友軍と戦い、これを撃退している。この菩提寺が赤井城と考えられている。
赤井城は青山城(佐田城)の西、南へ張り出した尾根の頂部に築かれている。
山頂部には空堀を挟んで南北に二つの平段があり、南は広大である。南の曲輪の西端には土壇があって佐田氏の墓が残されている。この西下に南北に伸びた横堀が付いている。
二つの曲輪の周囲には石積された平段が無数にあるが、畑跡でもあるようで城域の判断は難しい。尾根の北側には菩提寺跡が残されているというが、藪化しており日暮れ間近であったこともあって未確認である。
西側の宅地の脇の道を登っていくと溜め池があり、そこから東へ進んでいけば城跡に至る。
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