築城年代は定かではないが正安年間(1299年〜1302年)安心院公泰によって築かれたと云われる。公泰は宇佐氏の支流で安心院荘の地頭を兼ねてこの地に入封し安心院氏を称した。
天文年間(1532年〜1555年)頃には周防国大内氏に属していたが、弘治2年(1556年)豊後国の大友義鎮によって攻められ降伏、以後大友氏の豊前攻略の拠点となった。このとき安心院公正は大友氏から「麟」の字を賜わり麟生と改めた。
大友氏が島津氏に耳川合戦で大敗を喫すると、天正10年(1582年)麟生も離反した。しかし妙見嶽城主田原紹忍によって囲まれ、麟生は自刃した。
豊前国小倉に細川氏が入封すると改修が行われたが、元和の一国一城令によって廃城となり、その後に入封した松平重直は龍王陣屋を築いた。
龍王城は標高315.4mの龍王山に築かれている。現在主郭部には無線中継塔があり登山道が整備されている。
山頂の主郭には無線中継塔があり、この部分は比較的切り開かれているが西へ続く尾根にある二段の曲輪群は藪の中に埋もれている。主郭の北側に石垣があるが、この部分も藪の中だ。主郭から東へ伸びた尾根は階段であるが、途中二段ほどの削平地があり、北の神社から登ってくる道へと合流する。この部分が虎口になり、東の先端にも曲輪が残る。
登山道は北山腹にある神社の所から付いている。ここからの道が一番整備されている。もう一つ西の鞍部にある林道からも登る事ができるのだが、こちらはまったく整備されておらず、道なき道をよじ登る感じである。