寛永11年(1634年)松平重直によって築かれた。 重直は小笠原秀政の四男で、松平重忠の養子となり摂津国三田を領していた。
豊前国小倉の細川氏が肥後国熊本に移封となった後、豊前国小倉には小笠原氏が入封し、その縁により寛永9年(1632年)三万七千石で龍王に入封した。
この地には龍王城があったが、入封当時既に荒廃しており、新たに麓に陣屋を築いた。 寛永17年(1640年)重直は豊後国高田に移封となり、寛文9年(1669年)肥前国島原領になるまでは、幕府直轄領であった。
龍王陣屋は龍王城のあった龍王山の北麓に築かれていた。北麓に龍王城の案内板が建っているが、この案内板から北へ緩やかに降って行く道の先に陣屋跡がある。
陣屋跡とされる部分は南側に石垣があり、中央に開口部がある。内部は藪化しているが、わずかに標柱が見えている。この標柱には龍王陣屋の推定地とあり確定ではないようだ。正面の石垣も様々な様式で新しい部分も多いようである。