慶長6年(1601年)木下延俊によって築かれた。縄張は義理兄である豊前国小倉藩細川忠興によるものである。
木下延俊の父は備中国足守藩主となった木下家定で豊臣秀吉の正室高台院の兄にあたる。家定の三男が延俊で関ヶ原合戦の時の所領はわずか五百石であった。関ヶ原合戦で正室加賀の兄細川忠興に従って東軍として丹波国福知山城攻めに加わり、速見郡内にて三万石余が与えられ日出藩となった。
寛永19年(1642年)二代俊治が家督を相続すると、父延俊の遺言により弟延次(延由)に立石領五千石が分与され、日出藩は二万五千石となり、以後十六代続いて明治に至る。
日出城は別府湾に面した地に築かれている。現在の日出小学校が本丸、その周囲に二ノ丸、三ノ丸となっていた。
本丸は南東隅に三重の天守が聳え、望海櫓、南櫓、北櫓、月見櫓、隅櫓、裏門櫓が聳えていた。
二ノ丸北東隅に二重二階の鬼門櫓があり、近年まで民家に移築され荒廃していたのだが、最近再移築され資料館となっている。現存していた建物が荒廃したり、部材が保存されていながら再建されずにほったらかしになっているものが多い中、ありがたいものである。さらに「二の丸館」には本丸の搦手、現在時鐘のある所にあった裏門櫓も再建されている。これも民家に移築されていたものである。
日出藩の藩校である致道館も本丸のすぐ西の民家に移築現存しているが、これは現在保存のために修理中となっていた。
松屋寺は日出藩木下家の菩提寺であり、十三代俊敦と十六代俊愿を除いて墓が残っている。
日出藩御茶屋襟江亭(現存 茶亭)
鬼門櫓(移築 櫓)
藩校致道館(移築 その他)
裏門櫓(移築 櫓)
日出小学校の北側に「二の丸館」という観光案内所があり、ここに無料の駐車場がある。
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