豊後 ふいが城ぶんご ふいがじょう
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詳細不明。竈門荘の地頭竈門氏に関連すると考えられている。
ふいが城は標高390mほどの山に築かれていたが、大分道建設によって消滅している。
『大分の中世城館』によれば、小規模な単郭の城で、北に三段の帯曲輪を配し、西から南にかけてL字になる横掘を備えていた。建物跡は検出されず、出土遺物から14世紀中頃から16世紀前半頃に機能していたとされる。