備中 足守陣屋びっちゅう あしもりじんや

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (備中国/岡山県) > 足守陣屋
Tweet
備中 足守陣屋の写真
掲載写真数
形態
陣屋
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,郭,堀
城 主
木下家定,木下勝俊,浅野長晟,木下利房,木下利當,木下利貞,木下公定,木下利潔,木下利忠,木下利彪,木下利徽,木下利徳,木下利愛,木下利恭
歴 史

築城年代は定かではないが、陣屋が築かれたのは足守藩主五代木下利貞の頃と云われ、それ以前は木下氏は京に住んでいたという。

藩祖木下家定は豊臣秀吉の正室ねね(北政所)の実兄で、はやくより秀吉に仕え、関ヶ原合戦の時は播磨国姫路城二万五千石の領主であった。関ヶ原合戦では北政所の警護にあたって中立の立場であったため、戦後備中国加陽郡・上房郡二万五千石に所替えとなり、足守藩祖となった。

慶長13年(1608年)家定が没すると、長男勝俊と二男利房に遺領の相続が認められたが、徳川家康の意向に反して長男勝俊のみが相続したため、足守領二万五千石は没収となり浅野長晟に与えられた。

慶長18年(1613年)浅野長晟は実兄の和歌山藩主浅野幸長が嗣子なく没したため、和歌山藩の家督を継ぎ、足守領は天領となった。

元和元年(1615年)大坂の陣の功により木下利房が改めて足守藩二万五千石に再封され、以後木下氏が代々続いて明治に至る。

説 明

足守陣屋は足守小学校の北西側一帯に築かれている。足守川が大きくカーブする内側が足守の城下町で陣屋はその北端に位置する。

足守陣屋の遺構は外側を巡る堀とそれに面した石垣で、大手は南東に開き、北側が張り出して横矢が掛かるようになっている。敷地の北にある木下利玄の生家は、嘉永5年(1852年)に陣屋の建物に増築されたものである。

陣屋の北側には足守藩の庭園である近水園と吟風閣があり、足守小学校の南側には足守藩家老の屋敷や木下権之助屋敷の表門などが残っている。

案 内

国道429号線から県道271号線に入り、足守小学校を目指す。県道沿いに足守観光専用の無料駐車場がある。

最寄り駅(直線距離)
3.5km 足守駅
4.9km 服部駅
5.2km 備中高松駅
7.3km 東総社駅
7.5km 吉備津駅
所在地/地図
岡山県岡山市北区足守
付近の城(直線距離)
0.4km 備中 植之町西陣
0.5km 備中 宮路山城
0.6km 備中 植之町東陣
1.0km 備中 鍛冶山城
1.2km 備中 大陣屋
1.3km 備中 一国山城
1.3km 備中 冠山城
1.4km 備中 千引砦
1.5km 備中 名越1号砦
1.7km 備中 名越2号砦
1.7km 備中 大井の構
1.8km 備中 牛神砦
1.9km 備中 守福寺裏山の陣
1.9km 備中 南坂北陣
2.0km 備中 久田城
2.0km 備中 小陣屋
2.1km 備中 南坂南陣
2.1km 備中 すくも山城(足守)
2.1km 備中 尾崎1号砦
2.2km 備中 鳥越山城
2.2km 備中 立石城D
2.3km 備中 下足守B陣
2.3km 備中 下足守A陣
2.3km 備中 立石城C
最終訪問日
2012年7月
TOP > > (備中国/岡山県) > 足守陣屋